奥が深いバッドノウハウ

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奥が深い症候群、バッドノウハウという言葉のいいたいことに同意する。

バッドノウハウと「奥が深い症候群」

この記事は最終更新日が2004年とのことだが、この時代からすでに筆者と同じ気持ちが存在していた。この記事に対するいろいろな場所での反響も興味深い。

本来は知りたくもないノウハウだが実際問題知っていると作業の効率は上がる。また、覚えたくもないノウハウであるが知っていても詳細をすぐに忘れて結局調べることになるため実際問題覚えていると作業の効率が上がる。

そういうノウハウにはたくさん心当たりがある。Qiitaとかに忘れるので自分用メモとかから始まっているものは大概バッドノウハウのきらいがあるのでは?と思えてならない。

bash、vim、emacs。確かに凶悪なバッドノウハウの温床だ。vim/emacsに対して過学習してしまっている人間による「vimがないと作業が何も進まない」だとか「emacsは世の中で最高のエディタ」だとかいう叫びは、少数サンプルに対して過学習してしまって誤判別率が極端に増大していってしまった機械学習モデルのようだ。

そういう人間に対してvscodeを食わせてもやれXXがないだとかマクロがどうこうだとか抜かしてemacsよりも使いにくいという。同種に「秀丸」版も存在する。GUIの世界に踏み出せてはいるものの補完だとかLinterといった概念を知らない。コーディングはエディタがこなす主要タスクといってよいだろうが、今やコーディングというタスクにおいて補完やLinterによる恩恵は無視できるものではないだろう(違うか?)。

過学習してしまっている方々にはもはや総合的な利便性の判断というものができない。お互いの慣れや学習度合を無視したWindowsとMacのUIどちらが使いやすいか論争と同じことにしかならない(にしてもiOSのドラムロール式のリスト選択UIは無いと思うが)。

あれらのエディタはそもそもが古いからバッドノウハウと認定されやすいが、別に新しいものだからそれに関する知識が今後バッドノウハウにならないとも限らない。vimやemacsだってGUIのエディタがそもそも存在していない時代においてはテキスト編集の最先端だったはずだ。

Qiitaやslideshareのやたらと細かい仕様の解説とかは古い新しいに関わらず多くはいずれバッドノウハウと呼ばれることになるだろう。覚えてはいないがslideshareのノウハウ解説系には、それを披露してより一層の喜びを得るという節もしばしばみられているから認定の機運が高い。

そういうバッドノウハウ化してしまう技術に対して過学習してしまったら、一度フラットに戻して学習を再開する必要がある。局所解を踏んでしまったときに一度初期値にもどってトライするのと同じだ。

過学習することは悪いことでない。学習を続けないことが悪いこと。最先端を走るためには数多のバッドノウハウの屍を超えていかなければいけないのだろうと思う。