Webにおける検索エンジンとは何になったのか
あえて言葉にはしないものの現代のWebにおいてひときわ存在感を放っている例の検索エンジンのことはよくご存じだろう。その検索エンジンにおいて上位の検索結果に表示されるための施策そのものを誇りある職業だとしている人間もいるほどアレの存在感はすさまじいものだ。
近年のこのありさまを見るにアレはもはや検索エンジンの体を成している総合広告プラットフォームであってそこには一切の誠実性が無い。Generative Adversarial Networkのような構図によって検索エンジンのための最適化とそれを看破するための複雑怪奇なブラックボックスアルゴリズムはまさに終末期の目的を見失った迷システム。
当初のPageRankなどの数理的によく取り上げられがちなアルゴリズムなどもはや何の意味も成しておらず、今後はただただシーソーゲームの繰り返しによって奈落の底に向かうだけであることは予想できる。この最適化と看破のシステムは何をターゲットに最適化されているのだろうか?間違いなくそれは本来の誠実さとはかけ離れている。
総合広告プラットフォームが目的とするところはやはり収益性であって、コーポレートページに掲げられているだろう検索エンジンの理念的なものはすべて嘘である。彼らのディベロッパや広告ネットワーク向けのガイドラインではたびたびユーザ体験が重視されるが、最も高いユーザ体験を与えるのはそもそも一切の広告を表示しないことであることがわからないのだろうか?
便利さには変えられないという意見もあるだろうが、はたしてそれも現状正しいといえるのか?ユーザの多い検索パターンはこの終末期においては必ず汚染されておりユーザにリトライを強制させる。完全一致を指定しても往々にして汚染の影響などによって本来あるべき完全一致する結果が表示されないこともあり、これは素朴な意味での検索エンジンとしては誠実以前に明確な欠陥である。
もはや便利さはもとに戻らないほどに汚染は進行しており改善の余地はない。誠実さはない。これはいったい何